校長室より

つれづれ日記

3/31 新学期へ

 今日、通勤途中に竹ぼうきで桜の花びらを掃いている人を見ました。

 小学生のころ、春の校庭掃除当番は好きでした。竹ぼうきが重くなるほどの桜の花びらをかき集めると、「春」という感じがしたものです。

 急に気温が高くなってきたので、ついこの間まで枝だけだったケヤキの木もすごいスピードで芽吹いてきました。春真っ盛りです。

 さてこの度、不肖私、人事異動が内示されましたので、このコーナーもとりあえず、閉じさせていただきます。

 3年間ご愛読いただいた(って、愛読してくださった人がいたかどうか知りませんが)皆様、ありがとうございました。

 

3/25 昨日は終業式でした

 1日遅れになってしまいましたが、昨日は終業式でした。

 

 終業式では、みんなに人にやさしくできる人になってもらいたいと思って話をしました。令和2年度3学期終業式

 

  このところすっかり春めいてきたので、本校の桜もどんどん開き始めています。本校には何本かしだれ桜の木があります。多目的室前のしだれ桜はまだこのコーナーで紹介していなかったと思いますので、写真を載せます。この木の花は他の木のものより色は薄いですがサイズが少し大きめで、豪華な感じです。

3/10 卒業式

 さっきまで卒業式でした。

 朝から絶好の卒業式日和で、日の丸が青空に映えます。

 

 (奥から、県旗、国旗、校旗)

 式の方も、昨年は「無観客」卒業式でしたが、今年は保護者の方をお招きすることができ、やや平常に復帰した感じで、よかったなと思います。

 式辞を掲載しました。令和2年度卒業式式辞

 

3/4  相手にするなら「世界」でしょう。

 入学者選抜の作業の合間を縫っての更新です。

 この間の日曜日(2/28)にびわ湖毎日マラソンで、鈴木健吾選手が2時間4分56秒の日本記録で優勝しました。それまでの大迫桀選手の持つ日本記録を30秒以上縮める好記録でした。後半にどんどんペースアップして後続を引き離し、ペースダウンすることなくゴールしたレース運びは見事でした。

 しかし、そこでふと疑問に思ったのが、「日本記録って何?」ということです。日本記録とは日本国籍をもち日本陸連に登録している選手が出した記録のようです。だとしたら、現在の世界記録保持者、キプチョゲ選手が日本国籍を取得し、日本陸連に登録したら日本記録は一気に3分以上更新されてしまうのでしょうか?

 世界記録は現在の人類の最高到達点を示す数字ですから、大きな意味があると思います。また、マラソンは会場ごとにコースコンディションが大きく異なる種目なので、各大会の大会記録にも意味はあるでしょう。ですが、日本国籍の選手の中で一番早い=日本記録などということに大した意味があるとは思えません。

 世界中の一流マラソン選手が目指すべきは、各大会においては優勝、記録においては世界記録だと思います。(あるいは自己ベストの更新です。)

 さて、実はここまではすべて前置きです。

 来週本校でも卒業式が行われ、3年生の皆さんが巣立っていきます。卒業してこれから社会に出ていく皆さんは、世界を相手にしてほしいと思います。はっきり言って、残念ながら現在の日本はいろいろ落ち目です。そんな日本の中で一番だ、二番だと言っていても仕方のない時代になっています。

 私などは、もう「日本の埼玉県の教員」でキャリアに終わりが見えてしまっていますが、若い皆さんには、日本などという小さな枠は気にもせず、世界を相手に生きていってほしいと思います。

 ちなみにキプチョゲ選手の持つマラソン世界記録は2時間1分39秒です。日本記録などを気にしていたらいつまでたっても追い抜けそうにない、すごい記録です。

2/25 春近し

 いよいよ明日は埼玉県公立高校の入学者選抜です。

 このところ、半そででいいほど暖かくなったり、一転して冬の寒さが戻ったり、落ち着きのない天気が続いていますが、みなさん体調など崩してはいませんでしょうか。

 明日受検する中学生の皆さんには、本校を受検する人も、そうでない人も全員が持てる力を存分に発揮できるよう祈ります。(何に祈るかは秘密です。)

 私の通勤路にある紅梅の花も、満開に花をつけています。春はもうそこまで来ています。頑張ってください。

 

 

2/16 「虹」

 昨日の夕方は、朝から降り続いた雨が上がるとともに、見事な虹がかかりました。ネットでも昨日の虹はたくさんアップされているようです。

 

 あえて追加することもないかもしれませんが、本校から見えた虹の写真もあげておきます。よく見ると色の濃い主虹の外側(左側の建物の上の辺り)に薄く副虹がかかっているがわかります。

 現代の私たちは虹を見ると、「何かいいことがありそう」と思いますが、昔の人は必ずしもそうは感じませんでした。「虹」という漢字には「虫」偏がついていますが、これは古代中国で虹は、巨大なヘビ(蛇)のような生き物と考えられていたからです。ちなみに内側の主虹がオスで「虹(コウ)」、外側の副虹がメスで「霓(ゲイ)」というそうです。これと同じような伝承は、古代中国だけではなく世界各地に残っています。

 ヘビは脱皮を繰り返すことから、古代においては死と再生の象徴と考えられることが多く、ヘビの仲間である虹も不吉な死のイメージで考えられることもあったようです。とはいえ、その一方で虹には再生と希望の明るいイメージもあります。また若い皆さんにとっては虹と言ったら「NiziU」(ニジュー)かもしれません。(知らない人のために説明しておくと、日韓合同のプロジェクトで結成されためちゃくちゃ明るくて元気なアイドルグループです。)

 昨日の虹が、新型コロナウイルスの混迷に沈む日本社会に元気と再生をもたらしてくれると良いのですが。

(追記)今回の虹に関する蘊蓄(ムダ知識ともいう)は、別に私が自分で研究しているわけではなく、荒俣宏、梅棹忠雄、谷川健一などの著書の読みかじりです。また田中芳樹の長編伝奇小説「創竜伝」の設定にも、虹だのヘビだの龍だのにまつわる神話がてんこ盛りです。こういう知識が蓄えられるのも読書の楽しみの一つです(文中、敬称略)。

 

2/15 「忘れたころに」

 一昨日夜の地震にはびっくりしました。

 緊急地震速報の信号音が鳴った後、ゆらゆらと大きな横揺れが始まり、かなり長い時間続きました。

 私はごろごろしながら本を読んでいたところでしたが、「これだけ大きな揺れだと、震源地では大地震になっているのでは」と10年前の東日本大震災の時を思い出しました。今回は津波が起きなくてよかったと思いますが、それでも、各地で交通網が切断されたり、けがをした方、避難生活を余儀なくされた方がいるとのことなので、一日も早く復旧してほしいと思います。

 今回の地震は、東日本大震災の余震と考えられるそうです。人間にとっては10年はそれなりに長い期間ですが、地質学的スケールでは一瞬です。  

 「天災は忘れたころにやってくる」というのは、寺田寅彦(1878生れ~1935没)の名言とされています。寺田寅彦は、明治・大正に物理学者、随筆家として活躍した人です。

 東日本大震災は10年前なので、まだ「忘れた」ということはありませんが、記憶が薄れかけていたような気はします。今回の地震で、10年前のコンビニから商品が消え、計画停電で真っ暗になった日々の記憶が呼び覚まされました。災害に備える心構えを忘れないようにしなければと思いました。

 寺田寅彦の名言をもう一つ上げれば、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。」というものもあります。昨年からの新型コロナウイルスの騒動を予見していたような言葉です。

 寺田寅彦は、原子物理学の分野で先進的な研究をした他に、夏目漱石の弟子として文学家としても活動しました。身近な物理現象をわかりやすく解説した科学エッセイは、日本における一般向け科学読み物の元祖とも言えます。寺田寅彦は、国民みんなが科学的な知識や考え方を持つことが大切だと考えていました。

 寺田寅彦の時代から100年たった今でも、残念ながらみんなが科学的な考え方をするようにはなっていません。日々心しておくべき言葉だと思います。

 

 

2/10 「わきまえる」問題

 オリンピック組織委員会の森会長の発言に端を発し、今ネットやマスコミで騒ぎが起きています。発言の是非については、議論しませんが、キーワードとなっている「わきまえる」という言葉については、是非書いておきたいので、書きます。

 結論から断言しますが、「人間は(男女を問わず)『わきまえ』なくてはなりません。」

 「わきまえる」とは、物事の道理をよく理解し責任をしっかりと自覚することです。したがって、「わきまえた人間」とは、自分の見識や知識をひけらかすための無駄な発言はしませんが、逆に自分の責任を果たすためなら、権威や圧力を恐れず、堂々と正論を述べる人の事です。

 ところが、現在ネットでは「わきまえない○○」のようなハッシュタグをつけるのが流行しているという話です。そういう人たちは正しい意味も調べずに「わきまえる」とは「権威や圧力に委縮しておとなしくしていること」だと、誤解して(あるいは誤解したふりをして)騒いでいるのでしょう。

 私は、このままでは「わきまえる」という言葉の本来の意味やそれが表す態度が貶められてしまうのではないか、危惧します。

 また、仮に「わきまえない」のが良いことだというのなら、自分の言いたいことは、どんなことでも、いつでも、好き放題に発言して良いことになります。したがって「わきまえない」を支持する人が、森会長の事を「オリンピック組織委員会の会長という立場をわきまえていない」と批判することは、論理的に矛盾します。(私は、論理的に矛盾だと言っているだけです。森会長についていえば、公人としての立場をわきまえるべき地位にある方だと思います。)

 これと同じように貶められてしまった言葉として、たとえば「適当」という言葉があります。本来は「ふさわしく正しく」という意味だったはずなのに、今では「何も考えず、でたらめに」という語感で使われるようになってしまいました。また、ちょっと前に流行した「忖度」もそうです。正しくは「相手の立場や気持ちを思いやり配慮すること」なのに、最近では、「権威や圧力を恐れて、ごまをすること」のように思われています。

 言葉は時代と共に変化するものなので、歳月と共に意味や用法が変わっていくのは自然な現象です。しかし現代ではあからさまな誤用や誤解がネットやマスコミにより急速に広がって、日本語を汚いものにしているような気がします。常に正しく美しい言葉を使うよう、しっかりとわきまえたいものです。

 

 

 

 

2/8 史跡探訪~疫病退散編(3)

 校長室を少し模様替えして、長いこと中身も見ていなかったキャビネットを片づけていたところ、こんなものが出てきました。

 

 「橘」の家紋入りの瓦当(軒丸瓦の先端の部分)です。

 非常にきれいな状態なので、最初は何かの記念品として作られたものか? と思いましたが、一緒に出てきた古い紙に、橘高校周辺から発掘された出土物として、本校が開校した年に上尾市教委の教育長から寄贈されたと書いてありました。

 写真のような瓦当は豪華な瓦屋根を作るとき軒先の装飾として使われます。この瓦当が使われていたのは、非常に立派な大きな建物であったに違いありません。どれくらい昔のものかはわかりませんが、「橘」の家紋入り瓦当を使った立派な建物が本校の周辺に建っていたのだとすれば、「橘」をシンボルとする有力な勢力が、上尾橘高校のある平方地区に存在した可能性があります。

 平方地区は古くから「橘の里」と呼ばれていたということですが、実はなぜ「橘の里」なのかはよく分かっていません。この瓦がどれくらい古いのか、鑑定できれば、その謎を解き明かす有力な手掛かりになるかもしれません。

 それはさておき、なぜ今回が「疫病退散編(3)」なのかという話に移ります。日本最古の書物「古事記」によれば、橘の実は「非時香木実(ときじくかくのこのみ)」とよばれ、いつでも良い香りの不老不死をもたらす木の実だとされています。

 前に紹介した八枝神社といい、「橘の里」の古地名といい、本校周辺には疫病退散・健康長寿の縁起のいい歴史・史跡に富んでいます。

 この度、新型コロナウイルスに係る緊急事態宣言か延長されましたが、本校は縁起の良い橘の里の名を冠した学校です。無事にこの事態を乗り切りたいものです。

 

 

2/3 宝くじ問題(後編)

 さて、続きです。

 前回書き忘れましたが、条件として、バラも連番も10枚ずつ買うものとします。

 バラの場合の期待値は

 1等が当たる率は、1/100万(百万分の1)なので1等が当たる期待値は1000万円×1/100万=10円

 前後賞は2本あるので、前後賞の期待値は100万円×2/100万=2円

 1枚当たりの期待値は、二つを足して10円+2円=12円となります。

 これを10枚買うとして、12円×10=120円

 連番の場合の期待値ですが、当たり方にいろいろなパターンがあるので、場合別に考えます。

①自分の買った番号の直前が1等で、自分の買った番号の1枚目が前後賞の後側になる期待値は、賞金が100万円、このような状況が起きる確率は1/100万なので100万円×1/100万=1円

②自分の買った番号の1枚目が1等で、2枚目が前後賞の後側になる期待値は、(1000万円+100万円)×1/100万=11円

③自分の買った番号の2枚目から9枚目に1等が出て、前後賞を両方とももらえる期待値は、(100万円+1000万円+100万円)×1/100万=12円 。これが2枚目から9枚目までの8パターンあるから、12円×8=96円

④自分の買った番号の10枚目が1等で、9枚目が前後賞の前側になる期待値は、(100万円+1000万円)×1/100万=11円

⑤自分の買った番号の直後が1等で、10枚目が前後賞の前側になる期待値は  100万円×1/100万=1円

①~⑤を足すと1+11+96+11+1=120で120円

 こうしてみると、「バラでも連番でも期待値は同じでどちらが得ということはない」ということになります。ただし、連番の場合、1等と前後賞を総取りできる可能性はあるので、それを狙うなら連番ということになるでしょう。

 と、おそらくこの考え方で間違いはないはずですが、私は数学の教員ではないので、確信はありません。